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ステージ4胃がん闘病日記 その8

未分類
07 /04 2019





ステージ4 胃癌闘病日記 その8



TS-1とシスプラチンの副作用で貧血が酷く下痢は水状で体がだるくなり日常生活に支障が出てきた。また食欲なく体重が減ってしまったのだが身長が163cmで退院前76kgで68kgまで減ってしまった。標準体重は58㎏なのでさほど心配はしなっかった。


ご飯を食べるときに吐き気があり食べたくてもたくても食べられないのは流石に辛かった。それでもビールだけは飲んでいた。ビールを飲むと若干だが食欲が出て食べられるので1日500mlを6本くらいは飲んでいた。


しかし抗うつ薬と睡眠薬を飲んでいるためアルコールとの相乗効果により15時間くらい寝てしまった。寝逃げには丁度いいかなと思い毎日続けて飲んでいた。これだからアルコールは怖いと前述した通りである。河島英五さんの【酒と泪と男と女】の世界になってしまっている。自分がいて情けない限りで涙を流すこともあった。


TS-1の服用は21日で休薬期間が14日であるのだが相変わらず副作用で苦しんだ。うつ状態も酷くまだまだ末期がんを受け入れることができないでいる。アルコールも止めることができず。本当に困りものである。



14日間の休薬期間が終わり退院後はじめての外来日がきた。外来でステージ4の状態で後どれくらい生きられるか思い切って聞いてみた。抗がん剤の科学療法は回数は無限で一生付き合うことになること科学療法を行っても五年間の生存率が50パーセントとのことだった。
5年以上生きられる可能性があるかもしれないが再発して5年未満で死んでしまうこともあるわけで気持ちを整理する必要があると思った。腫瘍マーカーの値も基準値を超えており心配の種が増えてしまった。

7日後にシスプラチンの点滴の予定がある。


続く

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ステージ4 胃癌闘病日記 その7

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05 /26 2019




帰宅後に直ぐあとかたずけをして、取り敢えず寛いだ。あまりにもやることがないのでパソコンを開いてメールチェックを始めた。
40日間放ったらかしだったため溜まり放題のため必要事項が優先なのみチェックして後はゴミ箱に行ってもらった。


それからビールを1本飲んだ。医師に許可をもらったわけではなく。勝手に飲んだのだがチビチビだがおっかなびっくりな感じでのであまり旨くなかった。
基本的に抗がん剤を飲んでるときは抗がん剤の作用が弱まったり強まったりするのでアルコールは避けるのが原則になる。


私の場合はアルコール依存症であり、飲んではいけないのだが心の葛藤の戦いに負けてしまった。アルコールはこういうことがあるから怖い。ちょっと一本のつもりがビールで8本くらい平気で飲めてしまうのが困りものである。

これからが大変になるとお話しをさせて頂きましたががんとアルコールとの毎日の戦いが精神をも蝕んでいくのがわかり、うつ病が悪化してしまった。現在のうつ病の処方は上限いっぱいであり、後は認知療法で考え方を変えていかねばならないのである。


生を選ぶか死を選ぶか二者択一になってしまっうことに築くと今度は恐怖感が募ることになる。そしてその思いを打ち消すため酒を煽ることになる。がん治療をするためには大きな弊害となるし寿命を縮める行為であるこがわかる。


そんなことを考えながらも晩飯をたべた。カレーを食べたのだが胃の全摘出をした場合は最初は避けるべき食事である。しかしこれまた好物であり食べたのだがやはりと言うか腹痛を起こしてしまった。

これからがはじまり社会復帰をしなければならず問題が山積みであるなーと考えながら今日は床に着くことにした。ひさびさの自分の布団での就寝である。


続く

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ステージ4胃がん闘病日記 その6

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05 /07 2019



シスプラチンの点滴が終わったら直ぐ退院が決まった。3月7日で40日間長い入院となった。嬉しいくもありまたなぜか名残惜しい感じもした。


当日は朝食を食べた後、朝の回診が終わったら荷物のまとめを始めた。後は仮の会計書が来たら着替えをして帰る用意をすることになる。仮の会計書が 10時頃来たので病衣から普段着に着替えてナースステーションに行って挨拶をして帰ることになる。


また一ヶ月後にシスプラチンの点滴を打ちに再入院するのだが一応お世話になったので挨拶していった。その後退院の手続きをして家路につくことになる。タクシーで40分程ゆられて家に着いた。


家に着くと愛猫が待っていた。にゃーとにゃーと嬉しそうである。私も嬉く撫で撫でしながら少しながら目に涙を溜めてしまった。家に帰ってこれて良かったと一安心した。

だがこれからがいろいろと大変となるのだが今日はこのあたりにして置きます。


続く

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ステージ4胃がん闘病日記 その5

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04 /22 2019




その5



抗がん剤治療の方法だがTS-1の服用とシスプラチンの点滴となる。TS-1は21日の服用でTS-1の服用8日後にシスプラチンの点滴が入る。その後21日まで服用をして休薬期間になる。そして35日後にTS-1の再会となる。1クール35日間である。


TS-1の服用後に直ぐに口内炎が出来た。若干だが発熱があり無気力になり食欲が落ちてしまった。抗がん剤治療に入る前だが薬剤師からパンフレットを貰い充分な説明を受けたのだがやっぱり不安であった。しびれ、悪心、嘔吐、下痢、口内炎、全身倦怠感、骨髄抑制などの副作用が出るみたいである。


TS-1で今のところ服用でたまに水下痢になることがある。水がいっぺんに飲めない状態で脱水状態になる。のどがカラカラで困ったことである。約1週間で点滴治療になるがシスプラチンは腎臓に大きな負担になるため前後に大量の輸液が必要になる。そのためトイレが頻繁になる。シスプラチンを投与されている期間は輸液が入る前から測尿をするためギリギリのタイミングで行ったときは漏らす寸前の時があった。


この頃になると開腹手術した場所も痛みがなくなり心理的不安も軽減された。そのため暇の時は院内の散歩が日課になった。TS-1の副作用で全身倦怠感が出てはいたが特に気にせずに動くようにした。シスプラチンの点滴が終わるといよいよ退院ということになった。


続く
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ステージ4胃がん闘病日記 その4

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04 /07 2019





その4



先日、ステージ4の告知を受けたのだがこれは流石にショックを受けた。堀ちえみさんが舌癌でステージ4の告知を自身のSNSで伝えたニュースを見たがそうなのかーとの感想だった。しかし自身の場合になるとまったく違うものになった。ステージ4=末期がんである。記事を書いてる時点でも未だに受け入れられない。気持ちであることに気付く。流石に涙は出ないのだが異空間にでもいるのじゃないかと時折、錯覚を覚える感じがある。


それからは数日して開腹した場所の抜糸が行われた。今は糸ではなくホチキスのようなもので繋いでいく感じである。抜糸が終わった後も痛みは抜けなかった。相変わらず痛み止めの点滴を落としてもらっていた。ただし点滴台に縋る感じではなくなり、ゆっくりだが普通に歩けるようになった。少しづつだが院内の散歩の範囲も広がっていった。


看護師の朝の回診が終わると朝食の時間までだれもいない院内で散歩をするのが一日の始まりだった。正直に言うとベットにいるとスマートフォンで悪いことばかり検索してしまい。うつ状態が深くなるのでなるべく歩くようにしていた。今は考え過ぎずに今やるべき課題のみにして少しづつだが受け入れるようにした。


深く考える一つに後悔がある。あの時あぁしとけばよかったとか、癌になった原因はなんであったとか本当に考えても仕方のないことばかりが頭に浮かぶのである。今後再発しないための教訓にはなると思うがほとんどが杞憂であるといえる。悪い考えの一つとして言えるのは死についてだと思う。私は入院中はあまり考えなかっが退院後にぶつかることになる。私生活が無茶苦茶になり本当に困ってしまうことになる。それについては後日また書きたいと思う。


さて話が変わるのだが食事はおかゆでおかずもそれなりのものになっていた。栄養士の話だと胃を切った人の一回の食事は30分をかけて下さいと言われていたが、正直言うと通常の食事を5分で食べていてかなりの早食いだった私には大変に苦痛だった。しかし早食いをするとダンピング症状を起こすため、いらいらしながらゆっくり食べるようにした。それでも15分が限界だったのがやはりダンピング症状がおきてお腹が痛くなり酷いと水下痢になるから困りものである。


このころになると食欲が増し医師や看護師に隠れてお菓子の買い食いをするようになる。だいたいの回診時間は分かっていたため買ってきては病室で食べていた。許可されていないので見つかると怒られるのだが唯一の楽しみとなり少しだが体重が増えてしまったのを覚えている。



これくらいに体力の回復があると退院の話がでるのだが私にも採血の結果次第で退院の許可がおりるとのことだったがそうはいかず抗がん剤治療を先にやりましょうとゆうことになり。TS-1の服用とシスプラチンの点滴を行うことになった。



つづく
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ステージ4胃がん闘病日記 その3

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04 /04 2019






その3


しばらくは開腹したキズの痛みとの闘いだった。時間管理で痛み止めの点滴を落としてもらうのだが効いているのかいないのか正直分からなかった。寝返りを打つと激痛が走るために寝返りをろくに打つことができず背中が痛むようになった。ベットの角度を変えてみると若干痛みが和らぐのでベットを起こしてやり過ごしていた。


後はあまり頑張らないで下さいと医師に言われていたが点滴台に縋るようにして散歩に出かけるようにしていた。背中の痛みと開腹したところの痛みが和らいだため2時間置きに出歩いた。コーチとかいう感染症を防止する器具があるのだがそれを使用するとだいたいの肺活量がわかる。術後に測ったときは通常の3分の1程度しかなくはっきり言うと虫の息とはこのことをいうだなと思った。


そんな感じなんで寝ていても体力の回復は望めないと思い無理してでも動くようにしていた。1回の手術でここまで体力が落ちるとは思はなかった。体重も10キロ以上も落ちてしまった。それでも平均体重のプラス10キロなのでいいダイエットになったと思えばいいのだが術後からまだ食事が出来ず水のみ1日300mlだけ飲んでいいとのこだったがはっきりいって我慢できず500ml
ほど飲んでいた。


それから数日が立ち流動食の許可がおりて、どろどろのおかゆが出てきた。重湯というのだろうか初めて食べるものだった。おかずも食材をどろどろまで煮込んだものやスープやジュースが出てきたのだがこんな食事と思われる方もおられると思うが正直美味しかったと感じたことを覚えている。

何日かごとに5分かゆから3分かゆに移り少しづつだが全かゆになった。おかずもそれに合わせるように固形物が増えていき不味いと言われる病院食だが私は美味しく感じ食事の時間が楽しみになったのだが痛みは相変わらずで起き上がる時と寝返り打つと痛みが走りこればかりは悩みの種になった。


少しづつだが何となく自分の病気を受け入れつつあったのだがこれを覆す新たなことを医師から伝えらえることになる。これからの治療方針として家族同席で話があるので機会を設けてほしいとのことだった。2月10日前後だろうか医師と家族を交えての話があり青天の霹靂とはこのことかと感じることになる。


医師が伝えたのは以下の通りである。腹水細胞診陽性でClass Vとのことである。胃癌の手術後に病理検査の結果でありステージ3だったがステージ4まで進展とのことだと伝えられる。簡単にいうと術中に私のがん細胞採取したのを詳しく検査した結果であり、がん細胞が体内に細胞レベルで残ってしまっているため根治よりは癌の勢いを抑える治療に入るとのことだった。


ステージ4の言葉が出てきたときはえっと思ったがその後の医師の話は話半分で上の空であった。聞いていた母親が涙ぐんでしまったのを聞くいてから私も少しだが涙を目に溜めてしまった。



続く
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ステージ4胃がん闘病日記 その2

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03 /30 2019





いざ手術!

とはいっても意識はない。麻酔科医に言われた以降は手術後に家族の頑張ったねの一言で目ざめたのを覚えている。全身麻酔の影響で意識が朦朧して家族が話かけてくれていたのだがほとんど覚えていない。家族の話だと担当医が胃の全摘手術とリンパ節を切り取り大変な手術だったが成功しましたとのことだった。
家族も私の様子を察したのか帰っていった。

意識が覚めてからは酸素マスクや心電図やドレーンがつけられて、また尿管に管を入れらてほとんど動けない状態でこれからが本当に辛い状態が続くことになる。点滴で痛み止めや抗生剤を落とされるのだが先ず痛み止めが効かずそのまま消灯を迎える。
麻酔が切れて痛みが続き夜中の2時頃まで我慢してナースコールで看護師を呼んで痛み止めの点滴を落としてもらったのだがこれが本当に効かず唸るしかなかった。結局朝まで眠れず起床時間を迎えることになる。


医師の回診がだいたい9時ごろに数人で来てどうですか?と聞かれるんだが大丈夫です。としか言えなかったことを覚えている。本当は痛くて堪らないだが、なぜか言えなかった。そこで酸素マスクと鼻に入れられた管を外された。その後看護師が来て心電図と尿管の管をを外されて、いきなりレントゲン検査に一人で行って下さい。言われてびっくりしてしまったのだが点滴台に縋る感じでレントゲン検査に必死に行った。

正直ふざけるなと思いもあったがこの大学病院はスパルタ式なのか手術後は直ぐに動いてもらう方針だったみたいだ。ベットに横になっているのだが痛くて堪らず院内の散歩することにした。これで若干良くなるみたいだった。歩くことにより血流がよくなるのか痛みが和らいだ。

痛み止めを看護師が回診に来る度にお願いしたのだが、そのためか時間管理で2種類の痛み止めの点滴を落としてもらった。術後2日目の夜を迎えることになるのだが心電図やら尿管の管が無くなって楽にはなったが痛みは消えなかったので2時間置きにトイレに起きて気を紛れらせた。しばらくだが尿管から管を外してから測尿をするように言われていたので痛みが辛くなると尿意はないんだが気を紛らせるためにトイレにたった。

これはこれで案外痛みが和らぐ感じがしたので痛みがとれるまで、この習慣が続くことになる。前述していないないのでここで書くことにするが私は糖尿病やうつ病に罹患してをしており、術後間もないので抗うつ薬や睡眠薬を飲めないため横になっても眠れず痛みとの闘いだった。

2月1日起床時間がきた。だいたい起床時間後30分以内に看護師が回診に来る。血糖値や体温、血圧、開腹したキズの具合を見てパソコンに状態を打ち込んでいく。大丈夫ですかと聞かれのだが答えは時間がきたら痛み止めをお願いします。との返答ばかりだった。
看護師の回診が終わったら散歩に出かけた。術後3日目なので普通に歩けるわけもなく点滴台に縋る感じで歩くのだがヨタヨタしながら自分の病棟4階から2階まで行ってしばらくしたら急に目の前がチラチラし始めたため、これはマズイと思い4階の病棟に戻ることにした。4階に戻るのに点滴台があるためエレベーターを利用するのだがエレベーターに乗り4階に向かう途中に突然、気を失ってしまった。


気を失った訳だが、気を失った際に頭を打ったらしくその際に乗り合わせていた。女性の方に声をかけられて始めて気が付いた。そしてその女性に寄り添うような感じで4階の病棟に帰って看護師に気を失って倒れて頭を打ったことを告げると大騒ぎになってしまった。トイレに行くときも車椅子で行きますのでよろしくお願いしますと言われてしまったのだがトイレには自力で行っていた。
これからが大変なことになるのだが医師が何人も来てどうしましたか?と来るたんびに分けを話をする感じでまさかブラックアウトで倒れてしまったのか手術が失敗したのではと頭の中で考えが巡った。

それから9時を過ぎてからレントゲン検査、頭のエコー、バリウム検査、ヨードエコー、採血等の検査が矢継ぎ早に行われた。検査の結果は体に水が溜まっているとのことと大きな血栓があることが分かった。そのため血栓予防の点滴と栄養価の高い点滴を落とすことになった。体に溜まった水は処置室で部分麻酔を行い開腹してドレーンを新たに付けることになった。小さな手術になるが今度は意識がある中の手術である。正直言うと生きた心地がしなかった。
だいたい50分程で終わった。

大袈裟な検査の結果は数日後に特に異常なしとのことだった。


続く
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ステージ4胃がん闘病日記

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03 /21 2019




胃がん闘病日記



2018年10月頃だろうか胸やけが出るようになった。ただの胃炎だろうと思い太田胃散を買ってやり過ごそうとしたが一向に治まらなかった。
かかりつけの病院に行って胃薬を処方してもらい飲んだ結果、若干治まった。

それから半月たった11月月半ばごろか胃痛が出るようになった。再び病院に行き痛み止めを処方してもらい飲んでみたがあまり効果はなく胃痛が持続する毎日が続いた。
12月後半に薬を貰いに行ったところ医師から症状が治まないのは心配だから専門の病院で一度見てもらったほうがよいとのアドバイスをもらった。

私は半信半疑だったが行ってみることにした。地元の胃腸科で内視鏡の検査を行った結果、大きな潰瘍があり場合によって手術が必要と診断されて、その場で大学病院の紹介状を書いてもらうことになった。
紹介状が出来たのは年明けの1月初めに出来たのでそれをもって大学病院に行き詳しい検査をいくつか受けることになる。

【胃と大腸】内視鏡検査、バリウム検査、エコー検査、採血、採尿等の検査を受けたのだが内心不安になってきたのを覚えている。潰瘍のはずなのに大掛かりな感じがしたからである。
何日かに分けた検査の結果は何と胃がんでステージ3でリンパ腺が腫れているとのことだった。

がんの告知を受けた時は正直ショックは受けなかったと言うよりも事態を受け入れていなかったのかもしれない。
直ぐに胃癌の全摘手術が決まりその後は抗がん剤治療が必要との医師の説明があった。

その時に医師に尋ねたのは余命は何年ですかと聞いていたのだが、医師によると五年50%だと告げられた。後長くて5年の人生なんだなぁと感慨深く考えていた自分が居たことを覚えている。そして手術は2019年1月30日と決まった。

今回、感じたのは定期健診は大事だなと思った。私の場合は自覚症状が真近に起きていて、これといった自覚症状がなかったのが良くなかったと言える。定期健診をまったく受けてこなかったつけが回ってきた感じである。

そして1月26日に入院して手術まで絶食と決まった。普通は前日まで食べられるのだが私の場合は胃の後半部分にがんがあり、盛り上がった状態で食事が通らず残ってしまい手術する際に合併症の危険があるためである。

大部屋に入ったのだが食事の時間は周りが食べている音がして嫌な感じがするため外に散歩に出かけた。外といっても院内を軽く回るだけなんだが、それでも少しは気が紛れた。入院は生まれて初めてなので何をしたらよいやら分からず退屈の一言だった。
消灯時間は21時でやたらと早くて寝れるわけもなく周りの鼾と空腹との闘いでほとんど眠れず朝6時の起床時間を向かえた。

手術前日29日21時に下剤が処方されて飲んだ。26日より絶食しているので正直、便が出るのかなと感じたのだが言われるままにした。そして21時から水も禁止となり就寝することになる。絶食は何とかなったが水が飲めないのは意外と辛かった。
こんな感じなので当然眠れる訳もなく手術当日の朝を向かえることになる。

昨夜の下剤が効いたのか残りの便が出た。絶食していたため固形ではなく水便だった。そして8時頃に看護師が手術前のチェックをしに来た。この時は初めての手術のため緊張して何が何だか分からない状態で看護師の聞かれたことをただ頷くだけだった。

正直、脳裏に浮かんだのは手術が失敗して死んでしまうのではないかと考えてしまう自分がいたことを覚えている。話が終わると弾性ストッキング(血栓予防)を履いて手術室に向かうことになる。

手術が迫って来た。手術室の看護師に先程受けた質問を再度チェックをして手術室入った。手術室に入ると先ずお腹にエコーを当てて水がないかのチェックが行われた。そして手術台に乗り、血圧や心電図などの器具を取付た。

その後は局所麻酔を何本か打つことになるのだがその内の1本打った時に胃に激痛が走り麻酔科医に告げると別の方法の麻酔に変えるとのことだった。局所麻酔が終わると全身麻酔に入ることになる。麻酔科医に医療麻薬が入る旨を告げられ吸入マスクを口に当てられて30秒位で意識を失った。

いよいよ手術の始まりである。


つづく
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yakumo0130

季節の移り変わりを感じながら散歩を楽しむのが趣味の八雲といいます。現在49歳です。よろしくお願いします。
この度、胃癌に罹ったのを期に闘病日記を書いてみました。宜しければお付き合い下さい。
どうぞよろしくお願いいたします。